![]() |
![]() |
|
|
2回目以降のあなたもこんにちわ こころが敏感すぎて人間社会で生きるのが 不器用なキミ 少しくつろいでいきませんか♪
|
||
![]() |
![]() |
このブログはデザイン上、日付ごとに見やすく作られており
すてきなテンプレートを作ってくださった製作者さまと
豊富なサービスを提供してくださっているFC2ブログさまに感謝です。
ずいぶん更新、滞ってるな〜と思いつつ
見に来てみれば、5日もサボってしまいました(汗
でも、それ以上に汗かいたのはサボってたにもかかわらず
毎日、見に来てくださる方がいらっしゃったことでして(冷汗
ご、ごめんなさ〜い
どうじた稼田、ダレたか?飽きたか?
それともアレな病気にありがちなアレか?
燃え尽き症候群か?
このブログも自然消滅かと様々なお言葉が神のお怒りのごとく頭を駆け巡りまして
で…
ブログ開設当初、日めくりカレンダーのごとく
毎日サプリなことばを読んで
元気になれるように出来たらなっと想い
このブログのコンセプトを考えていたのですが
あ、…いや、偉そうな意味ではなく自分自身にとってというか…
ここ自体、興味本位プラス独り言ではじめたようなもんでして
もっともらしい事いっちゃいますが
僕自身専門家でもなんでもありませんし
医学的な裏づけなんか、これっぽちも考えちゃおりません。ハイ
なんとか記事っぽいものが書けてるのも(書けてるのか?)
本業のネットビジネス関連で勉強させてもらってるおかげでして
それでも、大したものは書けてませんが(ハハハ)
まあ、肩の力を抜いて
ここはマイペースにやっていこうかと思っております
あまり、責任感じるのも強迫観念上よくありませんし…
無責任にボツボツやっていくので
こんなバカ者の独り言を見に来てくださる
ありがたいお客様 m(_ _)m
お暇なときや、時間空いちゃったときにでも
見に来てくださると励みになります。
が、がんばります!
テーマ:心と身体のケアを大切に!
ジャンル:心と身体
見に来てくださった方々ゴメンナサイ(^^)
頑張っていきますので、これからも宜しくお願いします。
実は久々に神経症が目を覚ましまして
眠っていてくれるといい子なのですが
強迫観念が強くなるのがたまに傷です。

テーマ:心と身体のケアを大切に!
ジャンル:心と身体
薬をもらって来た稼田です。
偽薬ではなく本物の薬ですが
飲んでると不思議と強迫観念が減って楽になります
今は色々いい薬があるので
こころあたりのある人はお医者さんに相談してみたらどうでしょう。

一服しながらゆっくり書きますので
暇な人がいたら読んでください。
僕もそうですが、他人とうまく付き合えない人
自分に自信がもてない人は
すぐに自分を責めてしまう傾向があります。
自分と一緒にいても、おもしろくないのではないか?
自分の態度が相手に反感をかっているのではないか?
自分は相手からミモいと思われていないか?
こうなるとますます自信をなくし、そんな自分が嫌になり
そんな自分の本心を知られるのを怖れ
他人にも心を開けなくなってしまうのです。
多くの人は、「自分を責めるのをやめたい」と思いながらも
子供のころから身に付いた、こころの癖に振り回され
結局、もとの状態に戻ってしまうのではないでしょうか?
時々、自分を省みて
自分の弱さ、未熟さ、いたらなさを
自覚するというのは、悪いことではありません。
自信をもち、堂々と生きている人とは
無神経で無反省で恥知らずな人間ではありません。
「自分の何げない一言が、他人を傷つけてしまったのではないか」
「自分は周りの空気をこわし、迷惑をかけているのではないか」と
自分の言動を省みて、他人の気持ちをおもんぱかることは
とても大切なことなのです。それをやめる必要はありません。
改善すべきことは
「どうせ自分は嫌われているのだ」
「自分は存在する価値がないのだ」
と、自己を否定してしまうことです。
内省的であることは、自分の個性なので
簡単に変えることはできないでしょう。
内省的であること自体が悪いわけではないので
無理に変えようとしないほうがいいと思います。
重要なことは、反省することの目的です。
自分を省みるのは、自分を責めて痛めつけることではなく
愛し、生かされていることのよろこびを大切するためです。
決して、自傷行為ではありません。
自分を責めてばかりいる人は
無意識のうちに他人への怒りや憎しみを抱えています
まわりの人間も、そのような変化にうすうす勘付いているものです。
他人に警戒心をもち
当たり障りのない態度で接する一方
「でも本当は愛されたい」という矛盾した感情が混じり合っています。
「自分を責めることで、自分はこんなに傷ついてる」と
無言のサインをまわりに送り
間接的に他人を非難し、相手が変わることを求めているのです。
そうして、求めては拒絶され
期待しては裏切られ、を繰り返すうちに
屈辱と無力感にさいなまれ、何もかもが嫌になり
付き合いそのものを避けるようになってしまうのです。
他人から認められることを目的として
自分を責めるのはやめなければなりません。
もし世の中で認められ、その目的をとげたとしても
こころの中の空虚な想いは消えず
近寄りがたい人間になってしまうだけです。
他人から認められるのに必死で
自分を大切にしない人間に、本当の自信はもてません。
「自分を理解し、自分を好きになる」ためには
自分の弱い部分やみにくい部分と向き合う必要があります。
他人に傷つけられたときは
「自分も過去に同じようなことをしたことはないか?
こうして自分が傷つけられて、ようやく他人の心の痛みが判ったのだ」
と考えるようにしてみてください。
他人に喜んで貰おうとしたことで
まったく感謝されずにがっかりした時は
「まてよ、自分は恩を受けた人すべてにちゃんと感謝を示してきただろうか」
と思いを巡らせてみてください。
日々の何げない生活の中でも
「食べものや寝る場所が与えられることに感謝します」と
心の中で感謝の祈りを捧げてください。
どれだけ自分が他人から許され、救われ
支えられているかが判るようになるでしょう。
「自分を責め、自分を嫌いになる」のはよくありませんが
「自分が好きだからこそ、自分を責める」のは、悪いことではありません。
同様に
「他人が嫌いだから、他人を責める」のもよくありませんし
「相手が好きだからこそ、本気で怒る」のは、悪いことではありません。
自分の弱さを認め、自分を受け入れれば
他人も理解しやすくなります。
自分を肯定できない人間は他人と打ち解けることができません。
自信をもてない人の多くは
「自分の価値がさがるのを怖れている」か
「誰からも好意をもたれていないのではないか」
という劣等感をこころのクセとして持っています。
では、他人に勝って相手を見くだせば幸せになれるのかというと
その先には何もありません。
勝利にこだわり、他人を見下すことよりも
弱い立場の人の気持ちが判ることのほうが、はるかに価値があります。
自分の弱さから目をそらす人は、他人の弱さも受け入れられません。
罪を憎んで人を恨まず」という言葉もありますが
もし自分が他人に傷つけられたときは
相手を責めるのではなく、相手のその弱さを哀れみましょう。
きっと自分にも同じような弱さを持っているはずです
誰も傷つけず、誰にも迷惑をかけずに生きていける人はいません。
他人は自分を映す鏡なのです。
自分の弱さを受け入れられるようになれば
不思議と他人にも優しくなり、心が安らかになります。
そして、「もっと自分も成長したい」という意欲や情熱がわいてきます。
怒りのエネルギーを、自分を成長できる方法で発散させるのです。
人それぞれ、何が合うかはわかりませんが
僕はすっきりしたい時には「ひとりカラオケ」やバッティングセンターに行きます。
自分の中の負の感情は出来るだけ発散させ
他人には向けたくないという性質のようです。
自分をおとしめるような反省は、他人に見せるためのポーズに過ぎません
本当に反省ができる人は、安易に謝れば済むとは思っていません
自分を責めずに、いつも付き合ってくれる
自分自身は世界で最高の相棒なのです
他人とうまく行かない時には
まず自分自身との付き合い方を見直してみましょう。
押してぇ押してぇ♪
テーマ:心と身体のケアを大切に!
ジャンル:心と身体
潔癖症があります。
よごれや雑菌を極端に意識してしまい
常に神経をつかってしまう症状です。
潔癖症の人は電車のつり革も
「どんな人間がさわったのかわからない」
「不潔なバイキンがついていて自分に移るかもしれない」
と不安になってさわれないそうです。
他にもファミレスなどである時期から
割り箸の袋がビニール製になったのですが
あれものお客の中には潔癖症の人がいるためだそうです。
従来の紙の袋だと
「一度塗れて乾いていてもわからない」
「塗れたときに汚れが箸にうつったかもしれない」
と不安に感じる人がいるそうです。
こういう経験がない人には信じられないかもしれませんが
あらゆる状況あらゆる場所で
こういった細かいことに神経をすりへらしてる人が
実は結構いるのです。
ボクは潔癖症はもちあわせていませんが
確認不安があるので、どのような状態かわかります
確認不安とは、何度確認しても不安が拭えない症状で
OCDの特徴のひとつとされてます。
たとえば自宅のドアの鍵を閉める時も
「鍵穴に鍵を挿しっぱなしにしてはいないか」
「鍵をポケットに入れた時、誤って落としていないか」
と繰り返し確認してしまうのです。
不思議なことに何回確認しても不安は晴れません
それどころか、鍵穴や足元を見るたびに心配になるのです
かといって、確認しなくてもずっと不安をひきづり
その後何時間も「大丈夫だろうか?」と心配することになります。
結局どうしているのかというと
毎日、毎回、決められた手順で施錠をおこなうことにより
自分の行動に間違いはないかを確認しています。
1)鍵には長めのチェーンのついたキーホルダーがつけてあり
2)鍵をかけれ時は万一落とさないために両手で持ってかけます
3)鍵を抜いたらチェーンを束ねて右手でしっかり持ちます
4)慎重にポケットにしまいポケットの上からおさえて入ってることを確認します
5)ドアノブの鍵穴を指で3回こすりドアノブを引き鍵をかけたことを確認します
6)もう一度、鍵穴を今度は5回指でこすります
7)一度足元を見て鍵を落としていないか確認します
8)気分を切り替えるために空を見上げて天気を確認します
9)もう一度足元、鍵穴を目で確認します(鍵穴の角度も確認します)
10)アパートの階段を3段下りて振り返りドアの下とドアノブを確認します。
文章にしただけで10項目ですか
ボクは毎回出掛ける時、この10項目を必ず行います
時間にして5〜10分、長い時は15分近くかかることがあります。
知らない人が見たら完全にあやしいヤツです
実際、近所の人の中には変なやつだと思われているかもしれません
でも、ボクはこの儀式めいたパターンを通過しなければ
不安な気持ちを切り替えて出掛けることができないんです。
儀式…まさに儀式ですよね
こういう行動を「脅迫行為」というそうです。
OCDの人はそれぞれ違ったルールを決めていて
「脅迫行為」も人によって内容が違います
中には「それって関係あるの?」と思うような変わったものもあります。
ボクの挙げた例でも8)の空を見上げる…なんて施錠には関係ないですよね
でもこの手順を踏むことでボクの場合は
気持ちを切り替えて、不安をいくばくか軽くすることが
出来るようなので、やはりはずすことが出来ません。
潔癖症の人も似たような状態にあるのだと思います
不安な想像が頭に浮かび、それがどんどん増幅されていく
自分が心配な対象であれば増幅された不安が恐怖に近くなっていく
それを振り払うために
一見無意味とも思える行動パターンを自らに課して
その通りに従うことで不安を軽くしようと思うのです。
では、脅迫行為をすれば安心できるのでしょうか?
残念ながら答えは「ノー」です
不安の雲は消えず、儀式の手順はますます複雑化じます
本人も「こんなことをしても意味がない」
「自分のやてることは神経質すぎる」
と解っているのですが、他に術を知りません。
テーマ:うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル:心と身体
記事に影響でないかな?
深呼吸しながら書くことにします。
今日は何故か親から自立できない人について
念のため断らせていらだきますが
親と一緒に暮らすことを否定してるわけじゃないですよ
サザエさん見てますし。笑

成功不安しそうになると何故か不安になってしまう人がいます。
人生において成功することは、嬉しいことのはずなのに
いざ自分が成功しそうになると、なぜか不安になってしまうのです。
試験のために猛勉強し、満点をとれるはずなのに、わざと間違った解答をしてしまう。
不満など少しもない異性と晴れて結ばれそうになった途端、自分から別れを告げてしまう……。
成功することを求めて努力してきたのに、心のどこかで、「自分は成功してはいけない、幸せになってはいけない」とブレーキをかけているのです。
そんなやついるの?
って思うかもしれませんが、理解できない人は幸せだと思います。
ですが間違いなくあなたの近くにもいるはずです。
そういう人は、「子離れできない親」に育てられた可能性があるんです
典型的な例が、息子をマザコンにしてしまうような母親です
息子の成長を願い、「早く結婚して一人前になりなさい」と口先では言っているのですが、本当に息子が結婚して独立しようとすると、あらゆる手を尽くして、それを邪魔しようとするのです。
子離れできない親は、我が子から必要とされ、頼られることが生きがいなのです。
「私がついていなければ、この子はダメなんだから」と思いたいのです。
そのため、子供の長所よりも、欠点ばかりに目を向けさせようとします。
表向きは子供の成長を願うふりをして、一方では、自信を喪失させるために、巧妙に劣等感を植え付けるのです。
見事に術中にはまった子供は、「親の期待に応えられない自分は、情けない人間だ」と深い罪悪感を抱いてしまいます。
まさか自分の親がそんな駆け引きをしているとは夢にも思いません。
そういう子供は、幼いころから、自分が成功すれば親が不機嫌になることを敏感に感じとっています。
長年の積み重ねにより、「親の愛情を受け続けるためには、何らかの落ち度が必要である。自立してしまえば、親の庇護を受けられなくなる」という不安を抱えてしまうのです。
やがて、自分でも気づかないうちに、「幸せになると、他人から見捨てられてしまう」という誤った考えがくせになってしまいます。
いわれのない罪悪感、劣等感に苦しめられている人は、勇気を出して、「幼いころの嫌な記憶」を思い出してみてください。
大人に言われて、悲しかったこと、つらかったこと、悔しかったこと……。何の悪気もないのに、「自分は悪い子だ」と思い込まされたこと……。
大人になった今なら、そのほとんどが、自分の責任ではなかったことに気づくでしょう。
幼い子供が、自らの確信的な悪意によって悪事をはたらくことなどありません。
その罪悪感は、強制的に植え付けられたものです。
未熟な親は、子供のはつらつとした無邪気さに嫌悪感を抱きます。
自身も子供のころにそれを抑えつけられて悔しい思いをしたので、無意識のうちに、「しつけ」という口実を用いて、同じように子供を抑えつけようとするのです。
本当に自分の責任ではなかったことを、
はっきりと「自分は悪くない」と思うことは、まったくわがままではありません。
もし抵抗を感じるなら、それもまた、いわれなき罪悪感が染みついてしまっている証拠です。
「自分は悪くない」とはっきり主張できる人は
本当に自分が悪いと思ったときには、素直に反省する謙虚さをもち合わせています。
何よりも重要なことは、「自分の頭で判断する」ということなのです。
自分の責任ではなかったことで悩むのは、もうやめましょう。
だからといって、自分を苦しめた人を恨んでも何も始まりません。
人を恨むということは、まだその人に心をコントロールされていることを意味します。
無意味なことに心のエネルギーを使うのをやめて
未来に向けて有効なことに使いましょう。
それが、自分を大切にするということに繋がるです。
押してぇ押してぇ♪
テーマ:うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル:心と身体




